静かな森のクリスマス。
愛犬に、自然のごほうびを。
森が静まる季節が、今年もやってきた。
雪が降れば、音さえも吸い込まれていくような、深い静けさに包まれる。
街のクリスマスのように、煌びやかなイルミネーションも、賑やかな音楽もない。
そこには朝日に照らされた木々と、その根元に積もったばかりの雪。
木々の間を抜ける冷たい風があるだけだ。
けれど、その静けさの中にこそ、本当の豊かさがある。
ただそれだけの風景なのに、なぜか心が満たされる感覚がある。
食べることは、命をつなぐこと
クリスマスというと、キリストの降誕祭であるが、
クリスマスは、生き延びるための祝祭でもあった。
この祝祭の起源を辿ると元は収穫への感謝の意味が深く結びついていた。
ヨーロッパの冬は過酷だ。
日照時間が極端に短くなり、作物は育たず、家畜の飼料も乏しくなる。
そんな過酷な季節を前にして、人々は秋の収穫に感謝し、蓄えた食糧を分け合い、
自然の恵みを与えてくれた神や精霊に祈りを捧げた。
クリスマスの食卓にも、大切な意味がある。
それは、「分け合う」ということ。
厳しい冬を前にして、人々は収穫した食糧を蓄え、それを家族や隣人と分け合った。
一人では生き延びられなくても、みんなで分け合えば、冬を越せる。
そういう知恵であり、絆でもあった。
命の恵みを、共に生きる家族と分かち合うということ。
もちろん、愛犬への食事だって同じだ。
私たちと同じ屋根の下で暮らす家族だ。
私たちが食べるものと同じように、彼らの食事も、彼らの食事も、慎重に、愛情を持って選びたい。
冬を耐え抜くための、恵み
雪に覆われた山々、凍てつく朝、食べ物の少なくなる季節。
けれど、それでも森は命を育み続けている。
すべての命は、与えられた恵みの中で、精一杯に生きている。
そして、その命は循環し、次の季節へと繋がっていく。
森で生きた鹿たちは、自然の恵みを食べて育った。
人の手が加えられていない、自然そのものだ。
彼らは森の恵みを食べ、清らかな水を飲み、自由に生きてきた。
その命をいただくということは、森の恵みを、そのまま受け取るということ。
自然からの贈り物
「ごほうび」という言葉を使うとき、つい特別なものを想像してしまう。
でも、本当のごほうびは、もっとシンプルなものなのかもしれない。
それは、自然からの贈り物。
たとえば、新鮮な空気。
たとえば、太陽の光。
たとえば、土の匂い。
そして、体が本当に求めている食べ物。
余計なものが入っていない、ありのままの栄養。
それこそが、自然からの、最高の贈り物なのではないだろうか。
クリスマスは、一年に一度の特別な日。
自然の恵みに感謝しながら、その恵みを分け合う
そして、愛犬と一緒に、静かで、やさしい冬の時間を。
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Merry Christmas from Rawto.
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